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2月例会「平和について考える授業づくり」 [お知らせ・連絡]

2月の学習会は、実践レポートです。

「平和について考える授業づくり」という内容で、甲佐高校の前田先生が、1年生の現代社会と3年生の政治経済で行われた授業実践を報告されます。一部を紹介します。

1年生では、写真「焼き場に立つ少年」についての情報を一切与えずに生徒に写真を提示し、写真が撮影された場所や時期、この少年の背景、気持ちなどを想像させる。思い思いに自分の考えを発言できるクラスの雰囲気があるおかげで、様々な視点からの意見が出た。

3年生では、世界の紛争地域についての単元。紛争が起こる理由を「当事国が自国のことばかり考えているから」「お互いに協力しようとしないから」など、当事国の不寛容を理由に挙げ、批判的に捉える生徒が多い。紛争は自己責任という捉え方には、当事者の視点は欠けてしまい、解決のための提案も浅いままで留まってしまう。また、近隣諸国の軍事力の拡大について「やられたらやり返す」という発想の意見を持つ子どもたちも少数だがいる。

協調か対立かを迫られたとき、自分の選択が、紛争を避け平和的解決に向かうきっかけになるのかを考えるため、「囚人のジレンマ」のゲームを行った。

二つの取り組みを実践してみて、子どもたちの柔軟な感性や意識の変容に触れることができた。普段の授業に比べて、知識に基づいて意見を述べることより、「自分がどう感じたか」に重点を置いて授業を展開したので、自由な意見が出され、それをもとに授業の内容も広がっていった。

生徒たちが主体的に考え、意見を交流させる「アクティブラーニング」のモデル授業になると思います。興味のある方を誘っておいで下さい。

日時:2月25日(土) 14:00~16:00
場所:熊本市東部公民館1F 和室(熊本東郵便局・東部市民センター隣)
学習内容:「平和について考える授業づくり」前田さん

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大会の成果「多様な人々(NPO)とのつながり 教育実践の質の問い直しへ」(白石) [例会報告]

 今年の県大会について考えるならば、「多様な分野の人とのつながり」という点では、成果があったと評価します。

 「NPOカタリ場」からの報告は、震災のため日常生活が喪失した子どもへの援助、あるいは学習支援など、学校だけでは対応できない支援などに関してのものでした。たしかに、学校は超多忙であり、地震後には、さらに慣れない仕事も加算され超過密になっていきます。そこで、「学校だけでは対応できないこと」に、NPOがかかわっていくという話になります。

 この議論の文脈では、教師の数が2倍になればよいので増員を要求するという運動の次元で考えない方がよいでしょう。NPOが学校教育の隙間を埋めてくれたので助かった、という感覚も違うと思います。

 そうではなくて、「学校では思いつかないようなことをNPOなら思いつく」という発想の転換が重要なのだ、と感じました。教員の数を増やすという「量」の次元ではなく、子どもにとって何が必要なのかを再考するというしごとの「質」を問いなおすためにこそ、NPOの知恵と経験が必要なのだ、と実感しました。

 ここに、多様な人々とつながることの意義をみます。私たち教師が「多忙で手が回らないから助けてもらう」という発想では、NPOの人々に対して失礼です。そうではなくて、「私たちが思いつかない発想を提供してもらう」ためにこそ、教育以外の人々との連携が必要なのだ、と思うのです。この発想を称して、哲学の表現を使うなら、「他者」「外部」との出会いと言います。

タグ:熊本地震
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大会報告「県大会で学んだこと」 [例会報告]

 NPO法人カタリバと益城町の教育委員会との連携においては、長期的・安定的な関わり方に学ぶ点が多くあった(とりあえず少人数で視察・「なんでもします」の姿勢・スキマ対応・ボランティアの受付業務を一手に引き受けなど)。財源的な部分での企業からの寄付の募り方には目からウロコの裏側まで知ることができた。

 被害の大きかった地区のある小学校非常勤講師の方の話は、客観的な視座に立ったリアルな報告であった。「すべてのボランティアを受け入れよう」という学校の方針のもと「テレビの中でしか見られないスゴイ人」の訪問で毎日がイベント状態、ひと教室に山積みの行き場のない支援物資・・・その一方で職員の負担は?という問題提起。

 そんな中、熊日新聞の小多記者の方からの2つの補足発言がツボにはまった(学びが深まった)。
 ひとつは「受援力」という言葉。何でもかんでも支援をすべて受け入れるばかりでなく、今の自分たち(目の前の子どもたち)にとって本当にプラスになるか(もう少し後の方がいいか)、単発か長期的か、といったことを総合的に判断して「支援をどのように受け入れるか」を調整する力のこと。

 もうひとつは、M高校の生徒アンケートで「震災直後より数か月後に採ったアンケートの方が生徒の心理的状態が悪化している項目があった」という事実に絡んで、「一律に『語らせる』(もしくは思い出させないようにという意図で『語らせない』)というのはどうなのか。
 子どもによって語り出すタイミングは『まだら』であり、震災後数年経ってからやっとポツリポツリと語り出す子もいる。語れた子は安心で、語れない子はなんとか語れるようにせねばというのも何か違う」という指摘。

 大切なのは、いつでもどこでも語りたくなったときに語ることのできる環境づくりや、教師側のゆったりとした(近年問題視されている多忙感とは全く縁のない)姿勢ではないだろうか。

 学生の衛藤さん、Cさんのいう「後出しジャンケン」の実践が生まれ出てくる背景にもそのような〈人間らしさ〉を下地にしたゆったりした時間の中で生きている人たちが浮かんできた。

タグ:熊本地震
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大会報告「再開されていない小中学校の子どもたちへの支援をする学生ボランティア」 [例会報告]

 熊本大学教育学部4年生のCさんは、震災1週間後から学校がいまだ再開されていない小中学校の子どもたちへの支援をする学生ボランティアをされた。

 「最初は何をすればいいのか何もわからず、とにかく行って何が必要とされているかを聞く」ところからのスタート、ここでも衛藤さん同様「後出しジャンケン」という表現で活動過程を振り返っていた。

 1回目の訪問時、5名の学生に60名の小中学生。子ども・保護者からのニーズに応えた飽きない工夫を凝らしたタイムスケジュール。仕事のために子どもを見られない保護者からの期待と感謝。そのため当初3時までだった活動を4時,5時まで延長。ただでさえストレスのある子供たちにできるだけ「管理」したくない、との想いから「子供が自ら動きたくなる環境」を作り出そうといった取り組み・・・。

 以前読んだ「学校の成立条件とは何か」という論考(内田樹だったと記憶)を思い出した。素晴らしい教師が最初からいるのではなく、弟子(生徒)がいることで師になっていく、師であることを自覚していく、という論旨。15少年漂流記を例に説明がなされていた。

 Cさんに対する「子供の怪我や事故など危機管理に対する想定や対応は?」というフロアからの質問にも、「学校側の責任者である教頭、避難所運営の責任者である地域の会長、そして保護者関連はPTAの代表と、三者と連絡を密に取り合う」など、教師顔負けの対応をされていた。

タグ:熊本地震
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県大会報告「熊本大学生は、避難者の受け入れ態勢をどのように組織したか?」 [例会報告]

 熊本大学の学園祭実行委員長をやっていた衛藤豊さんは、前震の際に勝手連的にボランティア活動していた各サークルなどの代表者たちと、本震の時には連携して避難者を受け入れるボランティア組織を結成する。

 質問のやり取りを通して「おもしろい」と思ったことは「後出しジャンケン」という表現。「枠組み」が先にあるのではなく、「後出しジャンケン」のように、避難者からの要望や避難所としての必要性に応じて「受付、清掃、看護、支援物資」などの仕事内容が決まり、のべ200名にもなるボランティアの学生の「ローテーション」の割り振りを行っていった。

 特に感心というか、学ばせてもらった点は、避難者からのクレームに近いような要求にも「後出しジャンケン」で柔軟に対応されていた点。認知症の方の徘徊や赤ん坊の夜泣きに対応するための夜間シフトを入れたり、ゴミの分別に英語の表記を入れたり、近隣の買い物ができるようになったお店の復旧情報をはり出したり・・・先回りせず地に足のついたこれらの対応。だからこそ「避難者にとって安心できる」避難所としてマスコミ等でよく取り上げられたのではないか、と思った。
タグ:熊本地震
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県大会報告「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その2)」 [例会報告]

 震災発生直後、寮生を避難させていた高校教員の中田浩さん(仮名)さんは、「余震がある中、勝手に寮に入っていく(部屋にモノをとるために)生徒たちの危機管理をどう指導するか」で、自分はコワモテの生徒たちにビシッと言うことを聞かせるタイプではないから、と悩まれていた。
 
 けれども一方で、「近く(2,3Km)の大型ショッピングモールが燃えている!」というSNS上の情報(その後デマであることが判明)に沸き立ち落ち着かない生徒たちに「煙がここまで来るの?」「あなたの家族がそこにいるの?」と冷静に応答し、いま何を考え、行動しなくてはならないか、大事なことは目の前にあることを生徒たちに伝えている。大変緊迫した中での優れた応答場面だと感じた。

 では危機管理の点は・・・。そもそも管理とは、生徒の命や権利を守るために初めて許される行為なはず。「ビシッと言うことを聞かせるタイプ」がいい場合(教師にとって?)もあるかもしれないが、そうとも限らない。
 例えば東北地方に伝わる「津波てんでんこ」(津波の時は周りにかまわず各自が自分の命を第一にてんでバラバラに逃げること)の教えは、管理もへったくれもない。管理することとは真逆の発想であり、そこには先人たちの経験からくる知恵や、人間と自然の関係をとらえる哲学まで垣間見える。
 
 また「ビシッと・・・」の環境では集団がより良くなっていくための生命線ともいうべき「異議申し立て」が出にくいという欠点もある。ではどうしたらよかったか。
 
 「余震のある中勝手に寮に入っていく生徒たち」の要求はなんら反社会的なものではなく、「まっとうな異議申し立て」という見立てができれば、例えば、全寮生に「それでも各自が勝手に部屋に戻るというのはあなた達の命を預かっている身としてはどうしても見逃せない」ことを伝え、「必要なモノを取りに行きたい生徒は、決まった時間帯に教員立会いの下でその時間に取りに行くこと。その場合一人ではなく数名で入ること」などの合意を図ればよかったのではないか。
 
 「その間に大地震が来たら大きな責任問題に・・・」の心配の声が聞こえてきそうだが、いやいや放っておいたら「不特定の生徒が勝手に好きなときに」の状態なのだから、そのずさんさと比べたら・・・。

タグ:熊本地震
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6月例会「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その1)」 [例会報告]

 4月の地震に際して、寮にいた24名の生徒たちの安全確保と避難住民への対処に尽力された中田浩さん(仮名)の口頭での報告がありました。以下、時系列で概要を紹介します。

1 前震(4月14日・木)
 
 寮の舎監として宿泊することになっていた中田さんは、夜9時過ぎには自習室で2年生の作文指導をされていました。寮生は2、3年生の男子のみで24名でした(1年生は宿泊研修で不在)。
 
 9時26分に強烈な揺れがきました。中田さんは、とっさに机の下に身を隠すよう指示され、揺れが収まった時点で寮内の人員を確認し、各自携帯電話で保護者に連絡をとらせました。9時40分には、すべての家庭に連絡がとれましたが、ほとんどの保護者が翌日にしか迎えに来られないことが分かりました。

 中田さんは、校内に残っていた職員と相談し、体育館に避難することにしました。生徒たちは、余震におびえていましたが、非日常を楽しむ雰囲気もあったそうです。

 11時ごろには、地域に住む高齢者が数名体育館に避難されてきました。生徒たちは、外で車の交通整理をしたり、避難された方に毛布を配ったり、それなりに頑張っていました。中田さんは「24名という比較的少ない人数だったので、職員の指示も通り、生徒たちも動けたのでは」と振り返られました。 

2 休校(4月15日・金)

 翌日は休校となりました。午前中に三々五々保護者が迎えに来られ、昼過ぎには全員帰宅することができました(寮生の中には、遠距離通学の生徒が多いそうです)。
 
 中田さんの反省として「非常時だから指示をきちんとしなければならないが、今回は寮生だったから無事だったのかもしれない。もし、これが昼間の授業時だったら生徒をどこに避難させるかなど確認する点は多い」と述べられていました。

3 本震(4月16日・土)

 16日未明、また強烈な揺れがありました。中田さんは、学校近くの自宅で休んでいましたが、早朝には出勤し、押し寄せる避難住民(被災者)の交通整理に勤しみました。

 夕刻には、宿泊研修から1年生(200名以上)が帰校しました。ほとんどの生徒には保護者の迎えがありましたが、地震の被害が大きい地域に居住する4名だけが、体育館に宿泊することになりました。中田さんも同僚とともに一緒に寝泊まりすることになりました。

 学校の屋上にあるタンクの中にはかなりの水があり、被災者に飲料水を配給することができましたが、人数が多くトイレ等に大量に使用したため、16日夜には限界に近づいてきました。結局、一週間水道はストップしたままでした。

4 その後(4月17日~5月7日)
 
 17日(日)には、残された4名のうち1名は自宅に帰ることができました。他の3名は、水の確保に尽力しました。中田さんが自宅から持ってきた野菜ジュースを生徒たちは喜んで飲んでいました。

 18日(月)には1名が体調不良を訴え、近くの病院に養護教諭とともに連れていきました。学校に戻った昼過ぎに保護者が迎えに来られ、3名が帰ることができました。

 生徒がいなくなったことは良かったのですが、被災者への対応は、これからが本番でした。19日(火)以降、職員は交代で宿泊担当を決めていましたが、教員というのは気をつかう人が多く、結構な人数が泊まっていました。だいたいこのころがピークで全体では800名、体育館には400名の被災者がおられました。

 この高校は、二次避難所だったので、行政からは19日以降に担当者が1~2名来られました。ただし、担当が連日変わるため、引き継ぎがうまくいっていないようでした。

 22日(金)に自衛隊が物資を持って来られました。また広島神戸から2名のペアで3~4日間応援に来られ、精神的な支えとなりました。職員やボランティアのまとめ役として、管理職夫人が素晴らしいリーダ-シップを発揮されたことも強調されていました。
 
 中田さんは「避難所で怖いことは、デマが不安をあおることです。確かな情報を伝えることが行政の役割ではないでしょうか」とまとめられました。

タグ:熊本地震
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5月例会報告「被災地での若者たち」 [通信原稿]

 熊本は、4月14日夜の前震と16日未明の本震の最高震度7を初め一千回を超える震度1以上の余震が5月の末になっても続いていた。
 4月の例会では、まず会員の無事確認、実態報告情報交換、勤務先学校の対応状況などを話し合った。5月例会では、地元地方紙「熊本日々新聞」に掲載された、自主的にボランティア活動に関わった高校生の報告会の動画を視聴することから始めた。

1.被災地での若者たち

 この生徒たちは、浦崎さんが勤務する熊本学園大付属高の生徒で、H君、E君、Tさん、Hさん、Aさんの5名である。熊日記事によるとH君は益城町の自宅で被災し、避難生活を送りながらグランメッセ熊本(大型展示場)でボランティアを続けた。「最初の数日は町役場の人が懸命に動いてくれたけど、代わる人がいなかった」。一つの自治体で対応できるレベルを超えた被害の大きさを感じ、少しでもサポートしようと「友達と一緒に支援物資の仕分けを始めました」。

 E君とHさんは、熊本市東区の中学校で避難者を支えた。学校側の態勢が整う前から大学生らと乗り入れ自動車の整理をしたり、物資を配分したり。「あなたたちがいるから生活できる」との感謝の言葉に感激したという。子ども連れもいれば、足腰の弱い高齢者もいた。さまざまな人が地域で暮らしていることをあらためて理解し、物資受け取りの列に並べない人たちに「私たちが直接配って回った」とHさん。一律のルールだけではなく、きめ細かな支援の必要性を体感した。

 Aさんが身を寄せた熊本市中央区の避難先は、住民のつながりが深く、「みんなで買い出しに行き、食事をつくるような活動ができた」。ただ、避難者宅を狙った窃盗事件が近所であり、「絶対に許せない」と憤った。

 Tさんは支援のため、益城町や西原村、熊本市東区などを回る機会があった。つぶれた家々を見て、テレビからは伝わらない現実に圧倒された。この現状がどう把握されているのか。「仮設住宅の建設など必要な支援を急ぐべきだと感じました」。

 ボランティア活動を通じ、「人の欲」も垣間見えたという5人。支援物資を必要以上に持っていったり、喫煙場所を守らなかったりする人に注意すると、逆に責められ傷付いたこともあったそうである。この地震前に18歳になったH君は「様々な状況にある人たちに行政や政治は目を向けて欲しい」。「政治への関心はあまりなかった」というI君は「リーダーが重要だと避難所でも感じた。政治家を選ぶ選挙もしっかり考えて投票しないといけないと感じた」と被災経験を糧にした発言をしている。
 
2.視聴後の討論・意見発表

 「被災者を前にして、誰が先頭に立ってやるのだろうかと躊躇することはない。自らが行動を起すことが必要」。「お互いに声掛けが大切。誰がやらねばならないという決まりは無い。行動を起す事で、その場が活気づく」。「こんな場面で、お互いに声かけができるような普段からの挨拶などの意思疎通が非常に大切である」。「避難所の運営は、そこに集まった限られたマンパワーとその知恵と技術、技能を集めて運営しなければならない。今回、避難所に関わることで、この高校生たちは様々な事を学んだ。まさに、アクティブラーニングであった」。

 また、余震が続く中でのこれからの「心のケア」については、「子どもたち、生徒たちの心に寄り添うことが大切で、『皆同じだよ』等の声掛けが大切」。また、この状況を「逆手に取った」遊びなどもあるのではと紹介されたのは、「肩車して、揺らし『今のは、震度何?』(これは小学生低学年までか…)」。このような意見が出ました。

3.これからの事

 熊日記事の最後には地元大学生3人の声も掲載されている。「人手不足の所へ日替わりで足を運んだ。全国から支援に駆け付ける人々の熱意に触れ、協力し合う意義を痛感。一方で収集が追い付かず放置された災害ゴミを見て、できることなら自分で収集に当たりたいと思うほどだった」。不便さを強いられている障がい者と接した学生は「弱い立場の人に社会がどう向き合っているか。先送りしてきた課題が震災で浮き彫りになっている」。と指摘。また、女子大生の1人は学内の避難所で活動。ストレスが日毎に強まる避難者を見て、長期に亘る適切な支援の重要性を感じたという。と同時に「震災がなければ出会わなかった人とも会話ができた。」と被災地の厳しさも前向きに捉え、改めて社会に目を向けたと報告している。

 他の誰からどうのこうのと言われるまでもなく、一人の人間として目前の現実に対して、仲間とどう手をつなぎ乗り越えていくのかを考え行動に移していく若者の姿を見る事ができ、私たちが願う民主的主権者とだぶります。

 一方、2022年度に導入予定の公民の必修科目「公共」では、①公共の扉、②自立した主体として国家・社会に参画し、他者と恊働するために、③持続可能な社会づくりの主体となるために−の主要3項目で構成されている。今回の記事の生徒・学生はこの「公共」の実践者であると言える思うが、今後この「公共」がどのように展開されていくか注意深く見ていく必要もある。

 最後に、次回6月25日(土)の熊本高生研例会学習会では、浦崎さんの「アクティブ・ラーニングの時代が来た!」(仮題)の模擬授業実践がある事を申し添えておきます。
                               報告者 正清 裕一

タグ:熊本地震
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サラ・ブラウン 「情報弱者」になりがちな外国人に英訳提供を [通信原稿]

1 はじめに

 26年度に約28万4千人の外国人観光客が熊本県を訪ねた。そして平成27年度の国勢調査によると、熊本県に住む外国人は10,767人(人口の約0.6%)である。そのうち、私が所属しているJETプログラム(総務省、外務省、と文部省が共に管理する「語学指導等を行う外国青年招致事業」の略)は133人という少人数であるが、結びつきが強いコミュニティーなので日常的に情報交換や問題解決をSNSで行っている。

 私は平成22年から熊本県立菊池高校に外国語指導助手として長く勤務し、日本語能力を磨く機会を多く与えられてきた。例えば、車の購入や携帯の契約内容変更、さらには病院での診察に付き添うなど翻訳・通訳の依頼に多く応えてきた。しかし、たいていのJET参加者はこれほど長く日本に滞在していないため、日本語に慣れていない者が多い。

 彼らと同じように、日本語を使いこなせない在留外国人は、知り合いやボランティアに色々頼まなければいけない時がある。そんな外国人が、非常時に庁や市役所などの公の側からのサポートを期待することは、不当な要求だろうか。年におよそ29万人の外国人が熊本を訪れるのだから、災害発生時の情報の多言語化は最低限必要であるはずだ。
 在留資格(ビザ)の所有者は市町村に転入する際、日本人と同じ手続きをする他に在留カードを市町村長に発行してもらうことも必要である。従って、各自治体は在留外国人の人数と母国語を把握しているにもかかわらず、必要な情報を用意する義務を怠っていると思われる。在留カードを発行するのと同時に、パンフレットを渡す程度はできるはずだ。

 日本の経済と地方の活性化に貢献している外国人に、生活面で必要な情報をやさしい日本語でも提供しない自治体であるため、言うまでもなく各地の祭りなどのイベント情報も入手不可能である。
 そこで、熊本県をもっと知りたい・もっと楽しみたい日本語に不慣れな外国人のため、熊本学園大学の講師であるアメリカ人2人が2011年にKumamoto-I(クマモトインターナショナル)のFacebookページを立ち上げた。そして、SNSの特徴である拡散性を利用し、熊本県に関する情報発信を始めた。普段JET参加者に英訳を提供してきた私が、Kumamoto-Iの管理者にページのことを紹介されて「編集者になってくれん?」というオファーを頂き、編集者になったのは4月14日の前震の2週間前である。そして、初めて投稿したのが地震の直後であった。

2 地震前後の行動

 たまたま4月14日に私用で福岡アメリカ領事館を訪問したのだが、その際突然スタッフに声をかけられ、非常時に連絡を取れる熊本の代表になるよう依頼された。引き受けて熊本に帰ると、その夜9時46分頃一回目の地震が発生した。早速領事館から電話があり、アメリカ人の安否確認に協力してほしいとのことだった。熊本に住むアメリカ人は300人ぐらいしかいないが、会ったことがない人のほうが多いのであらゆるネットワークを使用し、なんとかケガ人や助けの必要な人はいないと伝えることができた。16日の早朝も安否確認を頼まれた。それから19日まで領事館のスタッフに熊本とアメリカ人の状況を毎日伝え続けた。
 
 避難所がどこにあるのか、何を持っていけば良いのかわからない人がいるだろうと思い、熊本在住のJET参加者が利用するFacebookグループにその情報を投稿した。さらに、Kumamoto-Iのメンバーにその情報を必要とする人がいるかもしれないと考えてKumamoto-Iのページにも載せた。
 その後、Kumamoto-Iに県内外と国内外の人々からたくさんのメッセージが届きはじめた。「熊本に物資届けたいけどどんな道で行けばいいですか」や「私の親戚は○○市の○区に住んでますが、連絡とってもらえますか」や「ゴールデンウィークは熊本城と黒川温泉に行く予定だけど、まだ行けると思う?電車とか大丈夫と思う?」など、メッセージの内容は様々だった。
 一番記憶に残った質問は16日の昼ごろにきた。来日したばかりの若いアメリカ人の母親からのもので、「私の息子が14日の夕方に成田空港に到着したはずだが、連絡がとれない。息子は大丈夫なの?」という内容だった。行き先は熊本ですかと尋ねたら、「分からない」と。確かに日本はアメリカに比べてとても狭い国だけども、14日の夕方から16日の早朝の間に成田から熊本まで来たとは考えにくいのでは・・・と答えると、その母親は少し安心したようだった。

 私が住む菊池市は幸いなことに殆ど被害がなく、16日の朝9時頃から電気なども復旧されたが、Kumamoto-Iの他の編集者や管理者は避難所で待機していたので投稿はほぼ1人ですることになった。
 まず、私は菊池高校に行って職員の安否確認を手伝った。午後5時まで事務長先生と一緒に事務室に待機し、NHKのニュースをみながら携帯で最新情報を集めて英訳を発信し続けた。
 交通機関の復旧、携帯会社による無料WiFiと充電できる場所、指定と個人提供の給水所、炊き出しの場所、開いている病院、おむつや粉ミルクがもらえる場所、多言語対応可能な避難所や電話による無料通訳センター、とにかく外国人のコミュニティーに役立ちそうなものを英訳してKumamoto-IとJETのグループ両方に載せた。さらに、メッセージに対応しながら情報をさがし集めて英訳して発信した。

 18日月曜日から23日木曜日まで休校だったため、その時間を使って活動を続けた。そして、19日水曜日、福岡領事館から電話があったが、今回の内容は依頼ではなくお知らせだった。ケネディ大使が熊本を訪問されることが決まり、私に感謝状を贈りたいとのことだった。

3 現在(5月末)の状況と今後の展望
 
 今はだいぶ落ち着いてきて、投稿の内容がボランティアや復旧の話に変わってきた。1日のメッセージの数も減ってきている。
 感謝状をいただいたことがニュースになったお陰で、ある自治体が在熊外国人へのサポートを強化することに目を向けはじめたようである。
 観光客を呼ぶなら、在留外国人に税金を払ってもらうなら、災害で命を失わないようにきちんと責任をもって対応をしてほしい。例えば非常時にリアルタイムで英訳を出すことが難しいことであっても、普段から日本語も英語もできるボランティアに声をかけてパンフレットを作成したり、ホームページに載せる情報を易しい日本語で書いたり、振り仮名を付けたりすることはできるだろう。しかし、今回のことを受けて、今後は少しずつでも非常時に必要となる情報の多言語化がなされることを期待している。

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5月例会案内「熊本震災から何を学ぶか、どう対応するか」 [お知らせ・連絡]

日時:5月21日(土)14:00~16:00

テーマ
熊本震災から何を学ぶか、どう対応するか。
 ~避難所などにおいて、高校生は、難問にどう取り組んでいったのか」

(1)高校校生が避難所でどのようにボランティアとして関わり、どのような課題を見つけ、どのように解決していったかを、熊日の記者の質問に座談会形式で答えた映像を見ます。

(2)市役所職員も学校の教職員も不在の中、大学生や高校生が初期の混乱状態の避難者を自主的に誘導し、知恵と力を合わせて立ち上げたことが判りました。またその後も、食糧がなかなか届かない中、届いた物資をみんなに行き届くように苦労した話が聴けました。

(3)避難所の運営は、そこに集まった限られたマンパワーとその知恵と技術、技能を集めて、運営をしなければいけません。
 避難所に関わることで、高校生たちは様々なことを学んだようです。まさにアクティブラーニングでした。

(4)避難所に関わった生徒、卒業した大学生、それぞれ座談会を開き、熊日の記者さんにインタビュー取材をしていただきました。
 くわしくは、17日、熊日の記事をご覧ください。 
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